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(巣ごもり)郷土史研究に試み 番外編

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  コロナ非常事態宣言下でやっていた巣ごもり郷土史研究に試みの続きをやっています。明治時代の地図と現代の地図を比較すると現在、尻切れになっている道が以前は一本の道であったことを発見。 地図は時系列地形図閲覧サイト「今昔マップon the web 」より http://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.681287&lng=139.763231&zoom=14&dataset=tokyo50&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

(巣ごもり)郷土史研究に試み 番外編

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  佐津間の山王橋西付近は明治時代、 今の道は無くて、佐津間の集落の中を通りぬけていた。 今の道が出来ていなかったら、不便だったでしょうね。 地図は時系列地形図閲覧サイト「今昔マップon the web 」より http://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.681287&lng=139.763231&zoom=14&dataset=tokyo50&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

(巣ごもり)郷土史研究に試み その3

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  民俗学で有名な柳田國男が『地名の研究』で小字に着目しています。 鎌ケ谷では住居表示により小字が消えつつある。 そこで今回は佐津間の小字を地図の上に再現してみました。 下図は国土地理院ウェブサイト(URL: https://maps.gsi.go.jp/#15/35.792719/140.003049/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1 ) 資料としては昭和53年の鎌ケ谷市全図 鎌ケ谷市役所発行を参考に描いてみました。 中には”雷”なんて小字もあります。

巣ごもり郷土史研究に試み 番外編1 資料紹介

  郷土史研究で昔の地図を確認が必要な場合があります。 また、現在の地図との新旧比較をしたくなる場合があります。 そんな時に役に立つサイト等を紹介しておきます。 【今昔マップ on the web】 埼玉大学の谷研究室で明治以降地図と現在の地図を並べた形で 閲覧が出来るシステムを用意してくれています。 url :  http://ktgis.net/kjmapw/index.html  で ”首都圏”を選択すると皇居のあたりが表示されますので 適当にマウス等で移動をして活用します。 【歴史的農業環境閲覧システム】 農研機構 農業環境変動センターで明治初期から中期にかけての関東地方を対象として作成された「迅速測図」を閲覧したり、現在の地図と比較閲覧することができます。 url :  https://habs.dc.affrc.go.jp  で”柏”を選択すると鎌ケ谷の北部の方が表示され、利用出来ます。 ”比較地図”を選択すると、迅速測図と現在の国土地理院の地図が表示されますので、利用することが出来ます。 【地図の入手】 <2.5万分の1、5万分の1の地図> 黒土地理院のホームページからダウンロード出来ますので、 それを活用します。 <2500分の1の地図> 市役所の都市計画課で購入することになります。

巣ごもり郷土史研究に試み その2

  ー鎌ケ谷市域のことを書いた一番古い文書は?ーからの展開 前回、「鎌ケ谷市域について書かれた一番古い文書を探す。」 テーマで調べた結果、鎌ケ谷市域の記述のある一番古い文書は 鎌倉時代の文永9(1272)年10月29日『関東下知状』(『相馬文書』)で薩間(現佐津間)、粟野の地名が記されているということがわかりました。 さて、 この時代が日本史上ではどんな時代だったのか? 高等学校の教科書によると ・有力な御家人の合議制にる執権政治 ・元寇襲来 ・浄土宗、浄土真宗、時宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗の開宗 ・山家集。方丈記、愚管抄、新古今和歌集、平家物語、徒然草、吾妻鏡 千葉県ではどんな動きがあったのか? ・戦乱に翻弄された ・千葉氏の台頭 ・守護 ・荘園ー庄・御厨 ・日蓮(日蓮宗)、良忠(浄土宗)

巣ごもり郷土史研究の試み その1

  ー鎌ケ谷市域のことを書いた一番古い文書は?ー 緊急事態宣言で外出自粛の今、 自宅でどんな郷土史研究としてどんなことが出来るのか? トライしてみました。 テーマは「鎌ケ谷市域について書かれた一番古い文書を探す。」です。 まずは「鎌ケ谷のあゆみ(4訂版)」を頭から読んでいきました。 鎌倉時代の”佐津間・粟野は相馬種村の領地”の記述の中に 鎌倉幕府が出した書類に薩間(現在の佐津間)、粟野の 記述があることがわかりました。 年代は文永九年(西暦1272年)ということです。 色々と調べていくと ”文永9(1272)年10月29日『関東下知状』(『相馬文書』)” であることが判明。 研究ですから原典をあたることは必須です。 そこで東京大学史料編纂所のホームページの データベース検索に検索。 結果は以下のとおりで、ボタンを押せば原典の画像が見られます。 https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/sda/w21/20030616000408 巣ごもり郷土史研究 鎌ケ谷市域の記述のある一番古い文書は 鎌倉時代の文永9(1272)年10月29日『関東下知状』(『相馬文書』)で 薩間(現佐津間)、粟野の地名が記されていました。 https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/sda/w21/20030616000408?fbclid=IwAR03hgkyBg7E4TxnnOqvUf3obs69XXjTbRTcq023FtE5--85fCx4OJfIxuw

歴史好きになった軌跡 その7 埼玉県立歴史と民俗の博物館

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  朱通さんには色々と指導をしてもらいました。その中心となるのが前回記しました岩槻城の調査です。 その調査の記録はなんと教育映画として残っています。 写真はその映画のビラです。博物館を起点としたグループ学習の記録映画です。24分ほどの映画ですが、学芸員資格取得科目を勉強した今、改めて見ても色々なことを教えてくれる素晴らしい映画に仕上がっています。 幸いにも以前、VHSビデオテープにしてもらってあったので、先日、PCのファイルに変換し、40年以上経過した今でも見ることが出来ます。 私の貴重な財産です。