寿能城址 さいたま市 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 2月 11, 2018 本日の第一の目的は大宮の寿能城址。歴史に興味を抱いた原点です。小学校の社会科の副読本に掲載されていたので訪ねてきたのが興味の発端です。おそらく、半世紀ぶりの訪問です。これを見て当時の僕は何を感じたのかな? リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
(巣ごもり)郷土史研究に試み その3 - 6月 20, 2020 民俗学で有名な柳田國男が『地名の研究』で小字に着目しています。 鎌ケ谷では住居表示により小字が消えつつある。 そこで今回は佐津間の小字を地図の上に再現してみました。 下図は国土地理院ウェブサイト(URL: https://maps.gsi.go.jp/#15/35.792719/140.003049/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1 ) 資料としては昭和53年の鎌ケ谷市全図 鎌ケ谷市役所発行を参考に描いてみました。 中には”雷”なんて小字もあります。 続きを読む
埼玉県立歴史と民俗の博物館 - 2月 11, 2018 最終目的地は埼玉県立歴史と民俗の博物館です。 目的は「特別展 明治天皇と氷川神社」を見るため、放送大学で博物館概論を学んだ後、新たな感覚で博物館を見ることです。ここへは埼玉県立歴史と民俗の博物館の前身の埼玉県立博物館に40年ぐらい前に来て以来です。 続きを読む
巣ごもり郷土史研究の試み その1 - 5月 09, 2020 ー鎌ケ谷市域のことを書いた一番古い文書は?ー 緊急事態宣言で外出自粛の今、 自宅でどんな郷土史研究としてどんなことが出来るのか? トライしてみました。 テーマは「鎌ケ谷市域について書かれた一番古い文書を探す。」です。 まずは「鎌ケ谷のあゆみ(4訂版)」を頭から読んでいきました。 鎌倉時代の”佐津間・粟野は相馬種村の領地”の記述の中に 鎌倉幕府が出した書類に薩間(現在の佐津間)、粟野の 記述があることがわかりました。 年代は文永九年(西暦1272年)ということです。 色々と調べていくと ”文永9(1272)年10月29日『関東下知状』(『相馬文書』)” であることが判明。 研究ですから原典をあたることは必須です。 そこで東京大学史料編纂所のホームページの データベース検索に検索。 結果は以下のとおりで、ボタンを押せば原典の画像が見られます。 https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/sda/w21/20030616000408 巣ごもり郷土史研究 鎌ケ谷市域の記述のある一番古い文書は 鎌倉時代の文永9(1272)年10月29日『関東下知状』(『相馬文書』)で 薩間(現佐津間)、粟野の地名が記されていました。 https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/sda/w21/20030616000408?fbclid=IwAR03hgkyBg7E4TxnnOqvUf3obs69XXjTbRTcq023FtE5--85fCx4OJfIxuw 続きを読む
コメント
コメントを投稿